|
ムーゼの森トップへ
|
軽井沢絵本の森美術館トップへ
|
english
|
エルツのおもちゃについて
エルツ地方の歴史・文化
収蔵品
第21回 ハーン社の棒人形>>
ライブラリ 第18回〜>>
ライブラリ 第12回〜17回>>
ライブラリ 第1回〜5回>>
ここでは今までに紹介した収蔵品をご覧いただけます。
このコーナーは定期的に入れ替えをいたします。次回は7月の上旬に変更予定です。
第11回
錫(すず)のおもちゃ
エルツ山地で銀と並んで採掘されていた錫(すず)。錫は延性、展性に富み、普通の温度では酸化しない性質を持った金属であるため、昔から人々に重宝されてきました。
磁器が発明されるまでは暮らしの中で錫の食器を使っていたといわれています。磁器が発明されると錫食器鋳造職人たちの暮らしは厳しくなりました。そこで、錫人形などを作るようになったのです。
1732年に生まれたヨーハン・ゴットフリート・ヒルペルトは、ニュルンベルクの錫おもちゃ職人のマイスターとして活躍し、ドイツの錫工房の草分け的存在といわれています。彼の技は親子代々にわたって伝承され、ニュルンベルクは現在も錫のおもちゃで有名な土地です。
1848年には、エルンスト・ハイリクセンというマイスターが錫人形のサイズを28〜30ミリに決めました。これはニュルンベルクサイズと呼ばれ、他の錫職人にも広く採用されるようになりました。
加工しやすくて軽い錫の人形は、美しい彩色をほどこされて家庭に飾られました。アンデルセン童話「すずの兵隊」からは、たくさんの錫の人形が飾られている様子が伝わってきます。そして錫のおもちゃといえば、錫の兵隊の悲しくも美しい恋物語を思い出す方も多いのではないでしょうか。
ページトップへもどる▲
第10回
シュヴィップボーゲン
「シュヴィップボーゲン(Schwibbogen)」は「飛梁(ひりょう)」(壁や家の間にかけられるアーチ)を意味します。このシュヴィップボーゲンが作られるようになったきっかけは、200年以上前の鉱山でのクリスマスの習慣にあると言われます。
クリスマスイブ、坑夫たちは鉱山へは入らずに集会所に集まります。そして歌をうたい、食事をとり、クリスマスを祝います。このとき坑夫たちは、火の灯された坑内ランプを鉱山の入り口と同型である半円アーチ型にして壁にかけたといいます。これが原型となりました。
写真で紹介している作品は、1930年に作られたもので、坑夫をモチーフにしています。また、彼らの横にはボビンレースやおもちゃを作っている職人が表現され、鉱山の衰退から副業が必要となり、それがやがておもちゃ産業の発展を後押ししたことを意味しています。
現在もクリスマスの時期にエルツ地方を訪れると、家々の窓辺にシュヴィップボーゲンが飾られているのを見ることができます。どこの家もアーチ状のシュヴィップの明かりを灯し、道行く人々の目を楽しませているのです。
ページトップへもどる▲
第9回
<クレンデ(聖歌隊)>
エルツおもちゃにはクリスマスの習俗を表現したものが多く見受けられます。これもその一つです。
ドイツではクリスマスの4週間前からアドヴェント(待降節)が始まります。この期間、<クレンデ>と呼ばれる聖歌隊が家々を回って賛美歌を歌うという習慣があります。
彼らを迎える家ではお礼にお菓子やケーキ、温かいお茶、またはコインを用意して待っています。
これは貧しいラテン語学校の生徒や物乞いがクリスマス用のパンを得るために行っていた習慣に由来しているそうです。彼らは黒い肩掛けの上に白い襟をつけ、つばの広い帽子をかぶっていました。
この一団の先頭を行くのはランタン(角灯)と長い棒の先につけられた星を持つ子どもです。この星は東方の三賢者をベツレヘムへと導いた星をあらわしています。彼の歌声によって、人々は聖歌隊が通ることを知り、お菓子やコインの準備をしました。
ページトップへもどる▲
第8回
<イースターラビットとエッグ>
イースター(復活祭)は、春の訪れを祝う古くからの風習と、キリスト教の教えが結びついて続いている行事です。イースターをモチーフにしたおもちゃをご紹介します。現在の復活祭では「卵」が多産や復活を象徴する重要なものとして扱われ、その卵を持ってくるのがウサギだと考えられています。
ウサギは昔、春の女神エストレのお供だったという話に由来しているようですが、卵との直接的な結びつきの理由は未だに解明されていません。しかしきれいな色で模様が塗られた卵と、それを運んでくると考えられているウサギはその愛らしさからおもちゃのモチーフになっています。
さて、復活祭の朝、子どもたちは家の中に隠された卵を探したり、家々をまわって卵をもらい集めます。そして祭の前夜もしくは当日の朝の食卓には、卵が出されるそうです。カトリック教会ではロウソクに火が灯されてミサが行われますが、このとき卵を供えることも多くあります。
春の訪れを祝うイースター。人々がゆでた卵に色を塗ったり、卵同士をぶつけ合ったりして遊ぶこの祭の期間、長い冬を耐えて心待ちにしてきた春を迎えるよろこびの雰囲気に町は包まれているのでしょう。
ページトップへもどる▲
第7回
<アンティークコレクション>
上の写真に大きく写っているのは、現在まで残っている古いおもちゃで、1900年ごろに作られた城です。そして、城を囲むように同年代に作られたおもちゃたちが並んでいます。その中の一つ、城の右下にあるマッチ箱のおもちゃについてその歴史をたどってみましょう。(*大きいマッチ箱の写真は、アンティークおもちゃではありません)
<マッチ箱のおもちゃ>
1800年から1900年の間、ザイフェンのおもちゃは約60%が海外に輸出されていました。このように輸出に頼るエルツおもちゃにとって、1890年ごろに輸入国の関税制度が変わったことは大きな影響をもたらしました。
価格をもとにして関税を換算していたのが、商品の重さを元にするように変わると、かさばる商品の輸出が難しくなったのです。折悪しく、この時期は原料である材木の値上がりも起きていました。
そこで卸業者のハインリヒ・エミール・ランガーが思いついたのが、マッチ箱を使ったミニチュアのおもちゃでした。1905年、農家の部屋をあらわしたミニチュアをマッチ箱に入れたものを、ランガーは初めて注文しました。
材料が少なくて済み、運ぶのも便利で関税が少ないマッチ箱のおもちゃは、その後大量に市場化され、100以上のモチーフを持つ人気おもちゃになったのです。
ページトップへもどる▲
第6回
<ベルクマン(坑夫)のパレード>
坑夫のパレードは、エルツ山地の坑夫たちによる祝祭の集会でした。その際、彼らは粋なパレードの衣装を着用しました。
この行進には大勢の音楽隊が後に続き、一年のうちの様々な機会に行われました。そしてこれは、エルツ山地でとても愛されてきた伝統であるのです。
17世紀の鉱山ではすでに、坑夫の服装を決め、制服によって階級の違いを取り決めようとする試みがなされていました。1719年に行われたバロック様式の鉱山パレードがきっかけとなって、ザクセン州の鉱山で働く人々への衣装着用の命令が公布されました。
ザイフェンのおもちゃ職人たちは、この鉱山パレードを人形として再現しました。今日の収集家たちは、坑夫の人形をパレードの形に並べ置き、1メートル近くまで長く連ねて飾ることが多いと言われています。
ページトップへもどる▲
エルツのおもちゃについて
エルツ地方の歴史・文化
収蔵品
お問い合わせは総合インフォメーション
info@museen.org
/もしくは Phone.0267(48)3340 Fax.0267(48)2006
〒389-0111 長野県北佐久郡軽井沢町風越公園
当サイトの無断転載を禁じます。All right 2005 Erzgebirge Toys Museum of Karuizawa (エルツおもちゃ博物館・軽井沢)